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CMで一世を風靡した「ツカサのウィークリーマンション」川又社長はいま福島の田舎で極貧生活だった!

ヨンヨンマルマルワンワンワン♪ツカサーのウィークリーマンション♪」この耳に残るフレーズのCMを記憶している人も多いことでしょう。

日本で初めて「ウィークリーマンション」事業を始め、バブル期にも乗り当時巨万の富を築いたツカサのウィークリーマンション元社長川又三智彦さん(69)。

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自らCMに出演する川又三智彦氏

 

総資産3000億という日本有数の資産家から、一転して1000億の借金を抱える極貧生活に至った壮絶な人生を「爆報THEフライデー」で明らかにしました。

日本初の「ウィークリーマンション」という仕組みを作り上げたアイデアマン

1947年9月、栃木県に生まれた川又さんはサレジオ学院高等学校を卒業後、米国の大学へ留学。しかしわずか3年で中退。帰国後の1973年には母が営んでいた小さな不動産業「司建物管理有限会社」社長に就任します。

当初は、木造アパートの三畳一間や四畳半一間の部屋を仲介していました。しかし新築のおしゃれなワンルームマンション人気に押され経営は火の車でした。

転機となったのがバブル全盛時代の1985年。日本で初めての「ウィークリーマンション」を考案します。それは米国留学時代に部屋を借りていた経験がもとになったものでした。

川又さんが当時、敷金礼金なしの家具や家電の付いた部屋を短期間貸し出すという「ウイークリーマンション」を思いついた時、ある人からはラブホテルになるとか、役所からは旅館業法に反するとか言われていろいろと妨害されたそうです。

しかし、いざ販売を開始するとウィークリーマンションは爆発的にヒットしました。そのお陰で資産は3,000億まで膨れ上がったのです。24億の豪邸に住み、キャビンアテンダントの美人妻もゲットし、そして冒頭の印象的なCMに自ら出演するなど「バブルの不動産王」としてまさに絶頂だったのですが・・・

裏切りの連続!あれほど頭を下げていた銀行も離れていった・・・

バブル当時、日本は「金余り」でした。

銀行は「頼むから金を借りてくれ」と川又さんを料亭へ誘い、頭取自ら頭を下げるという異常な時代でした。

ツカサのウィークリーマンションで有名になった川又さんのもとにも多数の銀行からの融資話が持ち掛けられ、その融資金を元に川又さんは次々とマンションを建設していきます。

そしてバブル崩壊----------銀行から不動産会社への融資を制限する「総量規制」が始まりました。

不動産価格は暴落し、3000億あった資産はわずか10分の1以下の価値になり、川又さんのもとには多額の借金だけが残りました。

あれほど頭を下げていた銀行も手の平を返すように返済を迫り、取り立てに追われる地獄の日々が始まります。

川又さんは文字通り「転落人生」真っ逆さまでした。

「SOHO」で再び復活!しかし「リーマンショック」で全てを失った

その後、外資系の「リーマンブラザーズ」がツカサの事業を高く評価してくれて、借金の一部を肩代わりするなど、川又さんは細々と事業を継続していました。

ウィークリーマンション事業が行き詰まるなか、川又さんは新たなアイデアを思いつきます。それは当時日本ではまだあまり知られていなかった「SOHO」でした。スモールオフィスがブームとなるなか、新事業は軌道に乗るかと思われたのです。

しかし、2008年にリーマン・ブラザーズが潰れて「リーマンショック」が起こり、ついにツカサも崩壊しました。

その時の負債は、法人で790億、個人保証は830億でした。川又さんにはもう自己破産しか道は残されていませんでした。

まさにどん底の状況のなか、更に追い打ちをかけるように川又さんの妻は家を出て行きました。家族も金も仕事も名誉も全てを失ったのです。

現在は福島の田舎町で超極貧生活をおくる日々

現在69歳となった川又さんは、会津磐梯山のふもと福島県猪苗代町に暮らしています。

築50年の古ぼけた平屋を借り、野菜などを育て孤独な一人暮らしをおくっているのです。

月13万円の年金だけが頼りの暮らし。ですが、近所の人たちの協力で食べ物には困らない生活のようです。

そんな川又さんにはある「野望」があるそうです。

それは、廃業した民宿を改修して、デイサービス事業にするという計画なのです。その他にもドローンの操縦士を育成する学校の設立も目指しているのだそうです。

 

日本初の「ウィークリーマンション」を生み出したアイデアマン川又三智彦さんは、全てを失っても前向きに人生を楽しんでいるようですね。人間このぐらいタフでなければいけませんね。

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