芸能ニュース

「小森のおばちゃま」4億遺産を使い果たした養女晴子さんが真相を激白

「こここ小森のおばおばおばちゃまよー」

片岡鶴太郎のモノマネでもおなじみだった映画評論家「小森のおばちゃま」こと小森和子さん。

komori141012

2005年に95歳でお亡くなりになりましたが、

その遺産4億のナゾについて「爆報!THEフライデー」で真相が明かされました。

 

自由奔放な発言でテレビなどで活躍していた小森のおばちゃま。

48歳で離婚したあとは終生独身を貫きました。

子供はいませんでした。

高齢になっても元気に仕事をしていたおばちゃまでしたが、

年老いていくにつれ将来の不安を感じていました。

 

そんなとき自分のムービーサロンでのちに養女となる「晴子」さんと出会います。

晴子さんは北海道から上京して結婚しましたが離婚し、おばちゃまのサロンで働きだしたのです。

最初から気が合った二人はすぐに仲良くなります。

 

二人の出会いから7年。おばちゃまは晴子さんに「遺言書」を渡します。

「私にもし何かあったらすべての遺産を晴子さんへ」という内容でした。

おばちゃまは晴子さんに養女になってもらいたいと考えていました。

この頃からおばちゃまは軽度の認知症だったのです。

 

そして1995年おばちゃま85歳のとき事件は起こりました。

おばちゃまは自宅のリビングで転倒し、動けなくなったのです。

しかも悪いことにファンヒーターが動いていたため顔面に火傷を負ってしまったのです。

そんな大変な状況を発見したのは晴子さんでした。

 

おばちゃまのテレビでの姿はこの火傷の事件のあと見ることはなくなりました。

この頃になると認知症に加え「パーキンソン病」も患っていたのです。

そんな状況を見て晴子さんはこのまま1人にさせておくわけにはいかないと養女になることを決意。

2人は養子縁組し家族となります。

 

ですがどんどん悪化するおばちゃまの病状。

恩人でもある「淀川長治」さんの死去に際し、

葬儀に出席したおばちゃまの顔を見てマスコミは

「ゆがんだ顔」と紹介。それがおばちゃま最後の公の姿でした。

いたたまれなくなった晴子さんは在宅介護を決意し自らも介護士の資格を取得します。

 

ですが在宅介護は当時今より莫大な費用がかかりました。

そこで晴子さんは介護事業を立ち上げ、おばちゃまの面倒を見つつ経営を始めました。

事業が成功すればおばちゃまが心血注いで作った「ムービーサロン」も存続できると考えたからです。

しかしこの介護事業は大失敗し晴子さんは経営から外されます。

おばちゃまのお金だけが無くなっていきました。4億あったおばちゃまの財産は消えてなくなりました。

 

このことが当時マスコミからの大バッシングでした。

「養女が小森の遺産を食いつぶした」と・・・

ですが真相は決して遊んだりしたわけでも、

晴子さん自身のために使ったわけでもなかったのです。

全てはおばちゃまとの生活を1日でも長く続けたかった晴子さんの願いだったのです。

 

小森のおばちゃまは晩年「晴子と一緒にお墓に入りたい」と言っていたそうです。

血は繋がっていなくとも本当の家族となった二人。

そしておばちゃまはその消えゆく命を悟って晴子さんに、

「もういいよ。ありがとう」こう言いました。

これがおばちゃま最後の言葉でした。

 

マスコミからのバッシングに耐え現在68歳の晴子さんは

ホームヘルパーとして働いていらっしゃるそうです。

自身も重度の肺気腫を患っているようで余命2年とも言われているようです。

ですがきっと天国のおばちゃまが「まだ来るのは早いわよ」そう言ってる気がします。

皆を明るい笑顔で楽しませたおばちゃまはきっと今日も天国で

「モアベターよ」そう微笑んでいることでしょう。

 

 

-芸能ニュース