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女優馬渕晴子「地上げ屋」との壮絶な闘いの日々

日本中がバブルだった80年代、社会問題化していた「地上げ」

その「地上げ」と勧善に立ち向かったある女優の闘いの日々を「爆報THEフライデー」が伝えました。

 

「馬渕晴子」テレビ創世記から現代まで幅広く活躍した名バイプレイヤーでした。

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2012年に肺がんで亡くなりましたが彼女は強い信念で「地上げ」と闘ったのです。

その壮絶な闘いとはどのようなものだったのでしょうか。

 

馬渕晴子さんは1936年東京で生れました。日活にスカウトされ1954年「女人の館」でデビュー。1957年にはNHK専属女優となりテレビ創世記のお茶の間の人気者となりました。

その後1960年井上孝雄さんと結婚。しばらく休業したのち女優へ復帰し名脇役として活躍しました。

80年代には東京港区赤坂に1000万円でマンションを購入し、幸せな生活を送っていました。

ですがそんな幸せな生活は「地上げ」で一変します。

ときはバブル全盛時代。300万で購入した土地が1年後には700万になるほど地価は高騰していました。

1985年馬渕さんの住むマンションも地上げ業者の標的となったのです。

地上げ業者は馬渕さんの住むマンションを取り壊し更地にして転売しようと画策します。そんな乱暴なことをしても十分利益がとれるほど日本はバブルでおかしくなっていたのです。

当時の法律ではマンションに住む人の5分の4の賛成があればマンションを取り壊せるのです。地上げ屋はなんとかマンションの住人を追い出そうと、深夜に無言電話を繰り返すなど執拗な嫌がらせを始めます。

馬渕さんはこれに屈せずマンション内の仲間と「生活と権利と自治を守る会」を結成。地上げ業者との徹底抗戦を誓ったのです。ですがここから地上げ屋のさらに悪質で執拗な嫌がらせが馬渕さんらを苦しめるのです。

脅迫電話が数えきれないほどかかってくるようになり、空室のはずの隣家から大音量で音楽が流れてきたり。あげくの果てには電気を止められロウソクで生活しなければならないほどエスカレートしていきました。

そして地上げから1年半。マンションの住人たちは次々に地上げ業者に屈して脱落します。取り壊しの条件である5分の4の賛成は目前でした。馬渕さんを中心に地上げ業者への訴訟も開始していましたが状況は悪くなる一方でした。馬渕さん自身もメディアに「過激女優」というレッテルを貼られ次第に女優としての仕事も減っていきました。

そんな1989年地上げ業者は新たな戦略で住人を取り込もうとします。買収価格の釣り上げです。300万で購入した土地が1800万になっていた時代でした。ついに住人はほとんどが出てゆき馬渕さんはいよいよ追い詰められます。

ですが馬渕さんは「お金の問題じゃないの」と反発し孤軍奮闘するのです。

そして地上げ裁判の原告団も馬渕さん一人となります。さらに無情にも裁判は全面敗訴。打ちひしがれる馬渕さんでした。

そんなころバブルは崩壊しました。

暴落する地価。不動産業者は次々に廃業し、馬渕さんのマンションを地上げしていた業者も事業を縮小し6年にもわたる地上げ屋との闘いはあっけなく終焉を迎えるのでした。

最後まで信念を貫いた馬渕さん。彼女は人間の尊厳を脅かすことを許せなかったのです。

馬渕さんが守りぬいたマンションは今も赤坂にあります。

女優としての誇りと尊厳を守り通した馬渕晴子さん。

天国で最近の日本の状況を見てどう思うでしょうか。金でなんでも解決しようとする風潮はバブル期より現代のほうが高まっている気がしてなりません。

東京では2020年オリンピックがやってきます。80年代のような「地上げ」が復活しないよう我々は監視していかなければなりませんね。

 

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