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爆報!THEフライデーで話題「大物俳優一家5人惨殺事件」の真相

10月31日放送の「爆報!THEフライデー」の新企画「実録名前の出せない芸能界事件簿」において、戦後まもなく起こった実際にあった凄惨な事件が取り上げられました。

それは昭和21年に起きた「人気俳優一家5人惨殺事件」です。番組内では「俳優M」一家とされていました。

この「俳優M」とはいったい誰なのでしょうか。それはこの方なんです。

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十二代目 片岡仁左衛門さんです。

仁左衛門さんは歌舞伎の名跡「仁左衛門」の12代目として活躍していました。40歳以上も離れた奥様と小さな子供らとともに東京渋谷で幸せに暮らしていました。

事件当時日本は敗戦間もないころ。歌舞伎の名跡である仁左衛門さんも決して裕福な生活とはいえなかったようです。それでもお手伝いさんを3人雇い、周辺では多少は余裕のある暮らしぶりだったようです。

ですがその頃は日本中が食糧難の時代でした。配給でなんとか食べるのがやっとというそんなころこの凄惨な事件が起こったのです。

1946年3月16日仁左衛門さんの家はまさに地獄絵図となっていました。

寝ていた仁左衛門さん、妻の登志子さん、三男、そしてお手伝いの2人の計5人が斧で無残に殺されていたのです。仁左衛門さんの家は血の海と化していたのです。なかでも一番損傷がひどかったのは仁左衛門さんの妻登志子さんでした。斧で頭をぱっくりと割られ滅多刺しの状態だったのです。

いったい誰がこんな凶行を行ったのでしょうか。警察は容疑者を、仁左衛門さんの家で妹とともにお手伝いとして住み込みで働いていた飯田利明(当時22歳)と断定し全国に指名手配します。事件後飯田利明は行方をくらませていたのです。

事件から2週間後飯田は潜伏していた宮城県で逮捕されます。そしてあっさり犯行を認めるのです。

犯行の動機は現代ではあまり考えられないものでした。

飢え」これが彼を凶行に走らせたのです。

戦後間もない当時食糧は配給制でした。それなりに豊かだった仁左衛門さんの家でさえ配給に頼るようなそんな時代でした。

住み込みでお手伝いとして働いていた飯田は食べ盛りの20歳前半。常に飢えと闘っていました。仁左衛門さんの妻登志子さんはそんな食べ盛りの飯田の配給食糧をこっそり横取りしていたのです。見かねた近所の人が飯田に食糧を分け与えますが、それを聞いた登志子さんはさらに飯田の食糧を減らします。とにかく飯田は飢えていたのです。

飯田は5人を殺したあと血の海となったその場で食事をしています。そして食べ終わった食器を衣裳タンスに隠し逃亡したのです。

人は飢えが続くとうつ状態になり精神錯乱に陥るのです。まさに飯田は空腹すぎてわけがわからなくなっていたのです。

 

翌年飯田に無期懲役がくだされました。彼は死刑を免れたのです。

その後彼が仁左衛門さんの遺族にあてた手紙にはこう綴られていました。

「申し訳ないね食い物の恨みだといえば死刑を免れるって言われたから・・・」

もし生きていれば現在90歳になっている飯田利明。彼がこの後どうなったのかは誰も知らないそうです。

「飢え」が生んだ芸能一家惨殺事件。あらためて「食い物の恨み」は恐ろしいことを思い知らされますね。

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