災害

「阪神大震災から20年」再開発された神戸市長田区はシャッター街になっていた・・・

20年前の1995年1月17日。未曾有の被害をもたらした「阪神大震災」

とくに被害の大きかった神戸市長田区では火災が多数発生し、街は焼け野原となってしまいました。

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あれから20年。高層ビルが立ち並び一見復興したかのように見える長田区ですが、現状は住民や商店主にとっては悲惨なものでした。1月15日放送の「報道ステーション」で今も続く被災者の苦悩を特集しました。

震災前、神戸市長田区新長田駅周辺の大正筋商店街はとても賑わっていました。しかし震災による火災で9割もの店舗が焼失、商店街は壊滅状態になりました。そして震災後、神戸市は総事業費2700億円にものぼる巨大な開発計画を作成、「アスタくにづか」という複合施設を建設します。

高層マンション、そして立派な商業施設と生まれ変わった新長田駅周辺。ですがハコモノがいくら立派になっても街に人は戻ってきませんでした。そして新しい商業施設で商売を始めた人たちに新たな「災害」をもたらしているのです。

神戸市は「アスタくにづか」に入居する場合、賃貸ではなく買い上げで商店主たちを入居させることにしたのです。ですが莫大な設備費をかけ店を開けても客は来ず、そのほとんどが「シャッター街」となってしまっているのです。

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施設内で食堂を営む横川さんは「設備費や管理費で多額の借金を抱えて大変。売上も震災前の4分の1でその日その日を生きているという感じ。もともと買った人は逃げられないから、みんな地獄を味わっている」と嘆いています。

神戸市がもたらした“復興災害”~市民の資産毀損させ、他県企業優遇(ビジネスジャーナル)

まさに商店主にとっては「借金」でふたたび苦しむという2次災害といっていい過酷な状況なんです。しかしどうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。

「ハコ」をいくら立派に作っても所詮はただの「ハコ」です。

行政主導ですすめられた大規模な復興は、そこに住み生活していた人らの意見を真摯に受け止めてきたのでしょうか?疲れ切った商店主たちの深い苦悩は震災から20年経過してもまだ続いているのです・・・

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